画像生成AI「絵藍ミツア」プロジェクトの学習参加申請について

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この度、僕は画像生成AI「絵藍ミツア」プロジェクトへの参加申請を行った。

なぜ参加を申請したのか

前回の記事で「画像生成AIを創作に使える時代は終わった」と書いた。それとは矛盾するようにも思われるかもしれない。なぜ、僕が参加申請を行ったのかについて説明させてもらいたい。

dolphilia氏のAIに対する姿勢への違和感

前回の記事を書いたのは、pixivでフォローをしているdolphilia氏がこういう記事を書いたことがきっかけだった。

このときは「いらない」という直接的な表現を使ったことに正直驚いたし、困惑もしたが、僕自身「画像生成AIはとてもじゃないが創作に使えるようなイメージじゃなくなった」と思っていたので、前回の記事で思ったことを書いた。

ところが、その後もdolphilia氏の記事を読んでいくうちに、違和感を覚えた。

dolphilia氏は反AIの方向に舵を切ってしまったのではないか?

氏は何度か追記を行っているが、どうも最初は「画像生成AIの創作への必要性の有無」について語っていたのが、「画像生成AI自体の是非」だの「集団訴訟の動向」だのと、反AIの方向に過激化しているように思えて、僕はそれについていけなくなったのである。

前回の記事で書いたが、僕は「法的・倫理的問題を解決したうえで、『創作』ではなく『素材』の作成ツールとして使っていくならまだありじゃないのか」という姿勢である。
(それでも、以前と比べてイメージは悪くなったが……)

反AI、という風潮には違和感、より正確に言えば嫌悪を覚える。もう検索エンジンや翻訳・音声操作などでAIはなくてはならないものになったのに、それも否定するのか。問われているのは「学習方法の是非」や「悪党がAIを使って悪さをすること」であって、「AI自体の存在が悪」という方向に行くのは違うと思う。「人間の仕事を奪う」というんならENIAC(「公式」には世界最初のコンピューター)が出てきた時点で人間の計算者の仕事を奪っているし、それ以前に鉄道や自動車が出てきたときに飛脚や人力車の車夫の仕事を奪っている。それらも悪だから滅ぼせというのか。「人を傷つけるから悪」というなら、通り魔が包丁を凶器として使ったら包丁は全面禁止になるのか。どうも納得いかない。

もう一つ(こっちのほうが主題に近いが)、違和感を覚えたのは、記事のコメント欄でこんなコメントがあったことである。
(その人の名誉のために直接リンク等は避ける)

「絵画は芸術、文章は技術」というが、小説や翻訳・プログラミングなどの文章も芸術の一つだ。絵描きが文字書きを見下すのは腹が立つ。

あなた(dolphilia氏)はSkebでDeepL(ネット上の文章を無断学習して作ったAI翻訳ソフト)を使って翻訳されたリクエストに対して絵を描いて報酬を受け取っている。それにもかかわらず「絵の無断学習は許さない」と言っているのはダブルスタンダードではないか。

自分がやられて嫌なことを文字書きに押し付け、カネを稼いでいるのは差別的で許せない。

これらのコメントに対し、dolphilia氏は記事の追記・修正はしても返答はしなかったし、「ダブルスタンダード」と言われた部分に関しては口をつぐんだ。それになにか嫌なものを感じた。

(もちろん、コメントをした人が全面的に正しいとも思えない。文章に憎悪がにじみ出ていて嫌なものを感じたし、反論したらしたでさらなる炎上を招いただろうから、dolphilia氏の対応もわかる。だが、「主張に筋を通すべきだ」というのに対し何も言わなかったのは、あまりいい印象を覚えなかった)

僕も以前は文章しか書けなかったから「絵描きにマウントをとられている」というこの人の気持ちはわかるし、dolphilia氏だって小説も書いているのだから理解はできるだろうに、黙殺したのはいいと思えない。

このことから、僕は「前回の記事で僕が書いたことは正しかったのか?」「本当に正しい行動は何なのだろうか?」と考えるようになった。

画像生成AIをより良く・倫理的に正しい方向へ導くべきじゃないのか?

前述したように、画像生成AIに限らずAIの問題は結局「人間の倫理」の問題に行き着くと僕は考えている。道具を使って悪いことをする人間が出てきたからといって、道具自体を禁止するのではなく、それを悪用する人間を防いでいくというのが肝要だ。

前回の記事で僕は「問題のある方法で作った画像生成AIのソースコードや学習方法を、Stability AIという会社が何も考えずにオープンソースで世界に公開したことが間違いだった」と書いた。もうそれは取り返しのつかないことだ。GitHubやHugging Faceに上がったソースコードを今更消したところで、もう世界中にコピーされてしまったのだから、地球ごと粉微塵に吹き飛ばさない限りこの世から消しようがない。

以前、画像生成AIのコミュニティに入っていたが、そこで言われていたのが以下のようなことだった。

一度世に出た技術が法律や規制ごときで消えることはない。

もし日本国内で画像生成AIを禁止しても、違法に使う輩は国内でもいるだろうし、海外のコンプライアンス意識が低い国では盛んに使われるだろう。

そうしたら、日本の産業の一つであるイラスト・漫画分野が他国に取って代わられて衰退することにもなりかねない。

すべきなのは全面禁止ではなく適度な規制と、クリエイターの権利を守ったうえでの活用ではないか?

(もちろん、これも彼らの方便であることは考えられるが……)

僕の好きな特撮作品で、あるキャラクターがこう言っていた。

「過去は変えられないが、未来なら変えられるかもしれない」

『ウルトラマンネクサス』より、姫矢准

未来を変えるためにはどうしたらいいか。少なくとも考えられるのは次の3つだ。

  1. 法的・倫理的問題のないAIモデルを作る
  2. AIが描いたイラストと人間が描いたイラストを判別できるようにする
  3. 2で区別したイラストのうち、AIが描いたイラストを「無断学習などの問題のあるAIモデルで作ったイラスト」と「そういった問題のないAIモデルで作ったイラスト」に判別できるようにする

このうち、2-3は個人の力でなんとかするのは難しい。少なくとも、僕はWebエンジニアでしかなくてAIエンジニアではないから無理だ。
(AIの作り方、つまり機械学習については前職で触ってはみたが、全然理解できなかった)

だが、1については手助けができる。

そのための「絵藍ミツア」プロジェクトへの参加だ。

「うまい絵」ばっかりだとAIがダメになる

とはいえ、「お前みたいな下手くそな絵、役に立つわけ無いじゃん」という考えもよぎった。実際、AI学習に使われただろう絵を参照できるHave I been Trained?でも、僕の絵は出てこなかった。はっきり言ってゴミと見られている、ということだ。

だが、NovelAIなどで生成した絵が、いわゆる「マスピ顔」という無個性な顔ばっかりになったのはなぜか、ということを考えたい。

結局、ああいうAIモデルでは「これは優秀(masterpiece)な絵」「これは下手くそ(bad taste)な絵」と学習の段階で決められて、「優秀」な絵の方を参考にするように学習されたから(作為が入ったから)だ。その結果があのマスピ顔の粗製乱造だ。

ああいう状態にならないためには、「下手くそ」な絵も必要じゃないのか? 個性というのは誰もにとって心地良いものじゃない。むしろ気色悪いと思われる方が多いものだ。

まあ「枯れ木も山の賑わい」というやつである。

前も参加してたじゃん

というか、「絵藍ミツア」プロジェクトには以前一度参加していたのだ。しかし、当時はX(当時のTwitter)でしか学習用画像の投稿を受け付けていなかったのだ。だから、Xのアカウントを変えたり画像生成AIへの意欲がなくなったりして、退会した。

今回は2度目の挑戦になる。

実際どうするのか

どこまで積極的に参加するかは未知数

とはいえ、どこまで学習に積極的に参加するかは未知数だ。学習はDiscordサーバーに投稿された絵を使って行われるが、今はどちらかといえば「とりあえずDiscordサーバーに参加してみた」という感じだし、どこまで自分の絵をキャプションを付けて投稿するかわからない。絵じゃなくて風景などを写した写真になることも考えられるし、そもそも向こうが参加承認しないことも考えられる。
(ページを見る限り、以前の「Mitsua One Diffusion」モデルの学習画像の募集を終了しただけで、まだ次期モデルである「Mitsua Likes」の学習は始まったばかりのはずだ。参加フォームが使えることを見ても、まだ募集は続いているはずだが……)

正直、どうなるかわからないが、とりあえずやってみるまでだ。

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